無想会空手とは何か? その四 ナイファンチの形での純化

 さて、このブログは、前回の無想会空手とは何か? その三 武術的「純化」からの続きです。

 ブッチャケて言ってしまえば空手においての武術の修行とは、「対象の純化」への過程などでも記したように、

 形という対象への

己の心身の武術的「純化」 + 形の武術的「純化」

 なのです。

 しかし、明治以後の空手修行者においては、本部朝基・師とその同世代の極一部の修行者以外には、誰も武術的心身への「純化」を成し得た空手家は絶無であった。

 あるいは、その「純化」を目指して修行した空手家は、皆無であったということは事実です。

 我々、武術としての沖縄空手の再興を目指す空手家は、その事実を厳粛に受け止めなければなりません。

 沖縄空手道・無想会においては、その歴史的事実を認識して・・・。

 武術として伝承された沖縄空手の修行時代と同様に、まず自らの心身を、「武術的心身への純化」することを、嚆矢として修行を始めます。

 その純化の手段として「ナイファンチ初段の形」を使います。

 この形は、蟹の横歩きをも連想させる奇妙奇天烈な形ですが、それ故に(?)、人が歩くとは、人が移動するとは、人が足・脚を使うとは、人が手・腕を操作するとはっと・・・。

 それこそ、重力の作用する地球上で、二本足直立歩行をする人類の心身操作を、一から学ぶことが可能になります。

 修行の基本、そして中心に、この「ナイファンチ初段の形」を位置させた、琉球王国時代の首里の武士たちの心身思想の高さが、如実に伺える歴史的事実だと言えるでしょう。

 その「ナイファンチ初段の形」を、国際沖縄空手道・無想会では内から、外から、前から、後ろから、上から、下から、右から、左からと徹底的に解明して、伝授します。

 当然です!

 だって、この形を理解し、その心身操作を使えなければ、武術として伝承された沖縄空手を習得することは文字通り、不可能なのですからね・・・!

 この稿、続きます。