首里手と泊手の違い?
じつはこのブログは「空手の代名詞・「公総菅(クーシャンクー)」の形 」っということで、ハナシを進めていたはずなのですが・・・。
お蔭様で同好会(含・会員諸氏のブログ)、各地の稽古会、ブライアン先生セミナー、「無想会チャンネル」開設などなどと、国際沖縄空手道・無想会の普及活動が非常に活発になったために、ナンか、その活動の告知版のような有様を示してしまっています。
まあ、この現象は予測(あるいは期待)していたもので・・・。今後ますます、わたくしの仕事は、組織の運営という煩雑な事柄に悩殺されて行くはずです。
そのためにも、今この時期に自分の修行の総決算を終えて、最低でも弊会の七つの制定形と、他の参考形の完全解明と、歴史的背景を明確にしつつ・・・。
日本国内で、指導者となれる人間の育成を、徹底的に取り組んでいかなければならないと思っています。
ですから弟子諸氏は、無想会空手を、まず「稽古」してください。「修行」してください。
知識やインフォメーションなどは、その次です。心身的な知恵(それが「脳が知る!」っということです)を、得てください。それが、心身思想というものに繋がってきますから・・。
っとまあ、独りよがりな事を呟きつつ・・・。
じつは「武士・松茂良(ブシ・マチムラっと発音されました)」こと、「泊の武士」松茂良興作(まつもら・こうさく)っと・・・。「武士・松村」こと・・・、松村宗昆(まつむら・そうこん)との対比を、考えていました。
この対比は「ごじゅうしほ(五十四歩)」っと、「公総菅(クーシャンクー)」の完全解明を成し得たからこそ、生まれてきた疑問と答えです。
ーーーーアッ! じつは公総菅の形・・・。一応、完全解明終わりました。構造・機能・様式・応用すべて・・・。そして、「四方」、「北谷・屋良」、「松村」の三つの形の相違と、その変化の経緯も理解できました(でも、これはまた後程ね!)----。
首里手と泊手を語る上で、「本部の猿」こと本部朝基(もとぶ・ちょうき)が、「松村と松茂良の空手は、同じである」っとの意味のことを述べています。これに確か、佐久間という、もう一人の人間の存在があったはずですが、書き飛ばしていますので、どなたか確認をお願いします。
いずれにしろ、首里と泊の代表的な武士の、心身思想・操作は同じである。という意味です。
ただ、これは私見ですが・・・。首里と泊とでは、様式が異なる場合があると思っています。すなわち国都の首里の武士たちは、徹頭徹尾「首里は左から」っという様式にそって動いています。
それは、例え原型の中国拳法の套路が右から始まっても、必ず自らの心身思想(この場合は様式)にそって、左に変革し用いるということです。
左足が最初に動く「ナイファンチ」っと、右足が動くいわゆる「泊のナイファンチ」が、その顕著な例です。
これは琉球王国、あるいは首里の文化の、中国(明や清王朝)に対する独自性としても良いでしょう。
さらに形の構造・機能などから見れば、この右から左への変革を理解しなければ、形の本来の意味を取り違えてしまう危険性も存在するということです。
それを理解しなければ、ナイファンチ、鉄騎などと呼ばれる形の初段と、あとに続く二段、三段を続けて、同じ形(すなわち全伝)とすることは不可能です。
わたくし・・・、大言壮語するようですが(ゴメン!)、当時の首里の武士たちの心身思想で、形を理解できるまでの修行はした心算です。
さて、ここまでわたくしと、弊会、さらに首里手と泊手をご理解いただいた上で、一つの疑問が沸いてきます。っと言うか、わたくしが次に述べる疑問の意味が、ご理解いただけるかと思います。
この稿、続きます。
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