出来ないのは、アナタのせいでは無い
前回のブログで、「空手の形には、『受け技』は無い」と記しました。
現代の体育・体操、スポーツ、レクレーション、そしてエンターテインメン化された空手の形の中で、上・中・下の受け技と思わていたのは、ゼンゼン違う役割を果たす動作なのです。
どうしてわかるのか?
簡単です(って言っても、わたくしここまで到達するのに、50年以上かかりましたが・・・)!
形には暗喩っという、この動作は、この意味を示します! っというものが必ず存在します。
これは首里手、泊手、古流那覇手、新興那覇手の別を問いません。
武術として伝承された沖縄空手の形、またはその流れを汲む形には、ゼッタイにこの暗喩が存在するのです。
だから呼吸で身体を固め、膝を内側に向けて、骨盤を後傾して静歩行するという・・・。
琉球王国時代に伝承された沖縄空手とは、それこそ真逆の心身操作をする新興那覇手でも、この暗喩の動作は共通に行わています。
所詮、原型となった形は中国清朝時代の軍隊の、漢人部隊(緑旗営・緑営)の15の軍事教練の徒手格闘技からの流れなので、当たり前と言えば当たり前なのです。
その暗喩の意味を理解すれば・・・、そして一度理解してしまえば、簡単なんです・・・今まで上・中・下への「受け技」であったと思われる動作は、ゼンゼン違うものだと理解出来ます。
でも、近代化に即するために、空手は使える武術であることを止めました。
その歴史的過程を理解せずに、武術の形への誤解・曲解が生まれてきました。
その誤解・曲解の結果が、現代の空手であり、空手の形なのです。
ですから、ここでハッキリしておきますが・・・、空手の形が、使え無い!形の中の業・技が、使えない!
それは、決してアナタの所為(せい)では、無いのです。
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