2019.01.29 06:35鳳啄(キツツキ)の形と、ロコモーション 唐手・佐久川が移入したであろう、清朝漢人部隊・緑営の軍人、すなわち福建省の琉球館を守っていた護衛兵こと把門(アーナン)、把門官(アーナンクー)たちの軍事教練の15の形のうちの7番目であった、「サンセールー」、「サンダーリュ―」、「三十六戦」の形のことを記してきました。 まあ、上...
2019.01.27 08:4516では無く、合計15の形 唐手・佐久川が1804年前後に移入させたであろう、清朝漢人部隊・緑営の把門(アーナン)、把門官(アーナンコー)たち、すなわち琉球館の護衛兵、護衛官の軍事教練の15の形のことを記しています。 本ブログでは、その15の形の7番目の形である、三十六(サンセールー、サンダーリュ―)の形...
2019.01.26 22:25三十六(サンセールー、サンダーリュー)の形 「雲手」、「ウンスー」と呼称される「二十七戦」、「にせいちちん」、「ニセーチチン」のことを記してきました。 9X3=27の二十七戦ですが、これは15の形のうちの、6番目にあたるものです。 本ブログでは、9X4=36の新興・那覇手である剛柔流で「サンセール―」、上地流で「サンダー...
2019.01.25 08:00秘せずして、木を植える 有名な世阿弥の言葉に「秘すれば、花なり」っというものがあります。 そしてその後に、「秘せずば花なるべからず」っという言葉が続きます。 能楽だけでは無く、すべての芸事において重要視されている言葉で、「花の美しさはその秘めたところにある!」っという意味で捉えられています。 直截的に...
2019.01.24 07:35納得して終えることの出来る空手 一応、「唐手・佐久川」の移入したであろう、15の形の6番目の形である「にせいちちん」、「ニセーチチン」、「二十七戦」、「にじゅうしちせん」のこと・・・。 すなわち現代の空手において「雲手」、「ウンス―」の形の事柄に関して、 その歴史的変移、形の構成・機能などを、ダイジェスト的に...
2019.01.23 19:30「雲手」、「ウンス―」、「クーシャンクー」、「観空」っと「五十四歩」の形 1804年前後に「唐手・佐久川」が移入したであろう、「にせーちちん」こと「二十七戦」、その50年後ほどに導入されて「雲手」、「ウンス―」と現在は呼称されている形の事を記していましたが・・・、 現在のわたくしの修行(練習・研究)の成果(?)で、先日「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形...
2019.01.22 00:00ソウコン先生・ごめんなさい! 本ブログの出だしは「ソウコン先生・ごめんなさい!」っという、お詫びから始まります。 じつは1月21日の午後2時ころに、四段の黒帯と解明を取り組んでいた「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形が、すべて解明できました。 わたくしは、沖縄での修行時代に、この「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形...
2019.01.21 05:00「ウンス―の形」の初動と、中国拳法の套路 前のブログで「唐手・佐久川」が移入したであろう、清朝漢人部隊・「緑営」の15の軍事教練の形の6番目の形である「ウンス―」、「雲手」こと、「二十七戦」、「にせいちちん」の形の初動について記しました。 子供が「パンッ!・パンッ!」と、親指を挙げて人差し指で指鉄砲を撃つような最初の動...
2019.01.20 04:45「ウンス―」、「雲手」の形の動作 「ウンス―」、「雲手」と現在は呼称されている、 「唐手・佐久川」が移入した可能性が大きい、清朝漢人部隊「緑営」の15の軍事教練の形の一つで、6番目にあたる「二十七戦」、「ニセーチチン」、「にせいちちん」の事を記していますが・・・、 前回までのブログで、その呼称の遍歴はお判りにな...
2019.01.19 08:25「雲手」の形とは? 「雲手」、あるいは「ウンス―」と呼ばれる形は、「唐手・佐久川」が移入した15の形のうちの六番目にあたる形です。 移入された当時は、「二十七戦」っと漢字表記されたはずですが・・・。 その後に、琉球王国の軍事教練となった? あるいは国家の正式、または準正式な事柄となったためか?! ...
2019.01.18 21:55二十七戦の形って、ナニ? さて、「唐手・佐久川」が移入したであろう、中国清朝漢人部隊(緑営)の軍事教練の15の形の一つであった、「ニセーシ」、あるいは「二十四歩(にじゅうしほ)」の形の説明が終わりました。 つぎは9x3=27っとなる「ニセーチ」、「にせいち」、あるいは「二十七戦(にじゅうななせん)」とな...